河内「吉田」(清音…ヨシタ)の語元は石切神社に由来する

【八尾】の語元(語源の意ではありません)は、「長髄彦・討伐物語」に起因する。

…【日本・建国創建史】は、神武軍(皇軍)による【長髄彦・討伐物語】(『秀真伝』)を以て始まった。

…此の討伐物語以前に言う【日ノ本・カミ代物語】とは、此の物語を成り立たせる為に創作されたのであった。そして、その創作された【日ノ本・カミ代物語】の時代背景は、「AD1世紀~4世紀中頃」の時代に当たる。

…神武の皇軍は、浪速を経て河内湖(河内湾)に流れ込む【澁川】(シフカワ)を溯り【ΙΑΩ】(八尾)を経由して成る龍田越えを試みた。然し、龍田への道は険しくて進むことが出来なかった。それで河内湖へ戻り、盾を並べたとする事に由来し、其処は【盾津】と言う地名になった。

…此の戦はニギハヤヒ系のウマシマジ王との戦いではなく、あくまでも臣の長髄彦の陰謀に対する「善軍(皇軍)と悪軍(陰謀軍)」との戦であった。その戦に勝利し政権を握った神武は、それ迄の王であったウマシマジに対し、此れ迄は三輪の大物主系の人物が物部の長であった、その【物部職】をウマシマジに賜った。然る後、【石切剣矢・神社】(ニギハヤヒ系・物部神社)の建立に伴い【良し田】(よした…清音)も賜った。此れが【吉田】(近鉄線/吉田駅の近辺地域) の語元(語源の意ではありません)である。

…ちなみに、【盾津】の地域は、近鉄線(地下鉄に接続)の【吉田駅】(ヨシタ駅)北側に位置し、吉原北公園から少し北の処に当たる。現在は地名変更に因って、【盾津】の地名は無くなっているが、地名変更以前に名付けられていた建物の名称(盾津…中学校)としての名前は残されています。

…【石切神社】は、「デンボ(でき物)の神様」とも呼ばれているが、元来は、【伝法】(伝承文章、及び、十種の神宝等)に由来する。その【十種の神宝】は関ヶ原の戦いで大坂方が負けた事に起因し、盗賊等に盗まれました。然し、平野の或人物が買い集め、現在は、或神社に保存されています。

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